プロでもよく認識していないこと。特にプロを自認する方は読んでください。
 大学の研究室で床冷房実験をしたあなた、ちょっと読んでください。

  あちらこちらでいろいろ混乱していることがあります。


ポイント

暖房」「冷房とは空気を暖めたり冷やしたりすること?
この点が重要です。そういう場合もある、ということでこれは限定的な前提です。この前提で素朴に実験をおこなうと必ず結論を誤ります。「エアコン」限定ならまだしもですが。
そのエアコンでも最近では「全館空調」という考え方が普及しています。これを根本的に企画するにはしかし、この「前提」を見極める、疑うことは大事になります。
「蓄熱」は空調機器によっても暖炉によっても床暖房によっても、あらゆる人為的な方法によっても大なり小なり起こりうる現象です。
室内で人為的に「熱」を発生させれば効率はともかく暖房効果は確かにでます。同様に夏の室内に氷柱を一本立てれば冷房効果はでます。実際的には使い物にならないということはありますが、室温は理屈上下がります。単に見た目が涼しいというだけではなく、氷が溶けるとは室内の熱が消費される、という意味です。それが盛夏であり断熱の悪い建物であれば、冷やすそばから外気による熱は侵入してきて、室温は上がり続ける、ということも予想されます。
いずれの冷暖房の方法を採用するにしろ、暖冷房効果とは、室温を必要に応じて確かな効果を得られる事は必須の条件です。
そのことに相違はないのですが、計画的な暖冷房システムでは、日夜自動で繰り返される暖冷房では、はっきりとした誤差が生じてきます。「暑すぎる」「寒すぎる」といった過剰効果が発生します。専門家はここで、サーモセンサーで感知しつつ制御しているので、必要な温度が21℃であれば機械は自動でこの温度をキープする、と単純に信じています。
問題は、同じ21℃でも暑かったり寒かったするのは「なぜか?」と意識的に問うことです。かならずこの体感の差には根拠があります。ここでミステリーなど存在しません。
霞ヶ関の官庁街、とあるビル建物の内部では、お役所らしく暖房時には20℃の設定を守っているのに、実際には暑すぎる環境に薄着で対応して我慢しています。それでも暑いのですが。
東京都下のとある市役所でも同様な省エネルールによる冷房運転をおこない、しかし暑さに職員も市民も耐えています。
これらは馬鹿げているというより、空調設計者とルール創出の監督官庁の考え方における短絡的なミスです。あるいは助言した専門家のミスです。
これらは温度設定の変更により多少は調整できますが、その前に、こうした「暑い「寒い」に関わる体感的な基準、ルール設定はたしかに、馬鹿げています。なにしろ暑い、寒いと設備があるにもかかわらず不満がでるからです。それがすべて。
このことを単に「個人差」などと平均値で切り捨てるのは無責任です。
平均設定温度と体感の誤差の原因は、確かに「蓄熱」への配慮の不足がそれです。
これらは蓄熱量の簡単な計算で対処できます。「物体」には個々の熱容量があるわけで、毎日の平均的温度目標による計画運転により、実際には暖冷房運転によるいわば持ち越し熱量が建物内部に残されるからです。
あくまで20℃は20℃であるから、毎日その温度がキープされる限り不快さは生じない、という立場は頭が固いだけです。いわば残留熱量の程度により設定温度は変化させる必要がある、というだけです。この装置の製造が困難であれば、室内の空気が20℃で、この熱が建物の内側にある物に同温度で蓄積された場合にどの程度の熱量に達するかを予測していれば、避けられる事態であり、それこそが「省エネ」といえるだろう、ということです。建物が大きいほどロスが大きいのはいわずもがな。
こうした問題がそのコントロールにおいて厄介そうな様相を帯びるのは、空気温度のみから考えるという習慣によっています。
ポイント2

いずれにしろ暖冷房に必要な負荷はその手段に関わりにく同じだ、という思い込み。

これも空気調和の考え方です。
通例、実際の暖房効果・冷房効果はある種の「設計安全率」で守られています。
それゆえに毎回、前回の成功例を踏襲します。当然のことです。失敗はあってはならず、うまくいって当たり前の世界です。
これで50年やってきました。これからも続けます?
建物の性能が良くなり、保温性・機密性の確保に今の建物は配慮しています。この変化にも熱貫流率などの考慮から負荷計算はなされますので、時代の変化にも対応できているといえます。それは間違いありません。
ただしそれらも、「空気調和」の考え方の範囲でいえることです。
必要負荷を計算するに当たり、基準では、その建物が所在する地域の最低外気温度を目安にする、というのが通例。
これが不経済の元凶です。どうしても設定能力は必要以上に高く見積もられ、初期コストも維持コストも自ずと高くなり、なによりその負担はお客様負担、使用者責任、という結果になります。
もう少し親切に計算すべきです。地域によっては、同時に建物によっては、真冬の無暖房の状態であっても平均室温は10℃を下らない、という建物は現在、ゴロゴロあります。こういっては語弊がありますが、建売住宅だって現在は結構いいよ、といえます。
この好条件をどう活かすかが、プロの仕事です。
ポイント3
設備設計者の立場と現場寄りの立場の相違。

現場サイドでは設計者の意図を図面から読み取り、さらに不明点を確認もして、図面通りの施工をすべきことは絶対に必要です。単なるミスと思しい事象があれば設計者に確認して修正するのも義務です。そういうこともたまにあります。「仕事」は共同作業であり、そのようにして正確性は確保されます。
共同性は人間的な仕事の無視できない特徴であり、条件と言えます。
設計者は歯痒い?
現場の実際の進行を見つつ施工する場合はその場でアレンジもできますが、まず机上でプランニングする場合はその現場での修正や失敗を極力回避する責任がどうしてもあります。
暖冷房の不可計算でも、安全率・プランの成功率は当然ながら重要です。その計算においてどうしても設計基準に頼る以外、方法がありません。畢竟、失敗は許されず成功は絶対条件です。
ところがそれでコストは上昇します。それがリスクだとすれば、お客様がこれを背負います。初期の施工コスト、維持コストに安全率は予算として加算されます。
そしてこれは避けられないことです。仕事の安全率を下げればどこかで破綻がありうるからです。
一方、多少は高くても確実性を求めるのはお客様のも詰めるべきポイントであり、選択は自由です。
そのうえで、ならば実際的な安全率を下げずに仕事を果たすには、実験しかありません。おおよそ基礎計算というものはまず実験があり、それを公式化したものに基づいています。
その基本姿勢の一方で、設計側もお客様側でも合わせて浸してくるのがいわば時代の要請。予算があろうとなかろうと、「省エネ」「低コスト化」は必要条件となっています。それを受けて、建築設計者は建物性能を基本的に重視しています。なにしろ時代の要請です。
その結果、建物の性能は飛躍的に向上しました。このことを前提に考えた場合、たとえ建物性能表示(Q値・C値など)を考慮しても、それは公式的な計算式に代入しているだけで残存エネルギーの再利用は考慮していません。これは妙です、頭が固い。単に責任を回避するだけでは知恵がありません。
とある実験例1

東北地方のとある公立大学が「床冷房実験」をしました。
教授以下助手たちの頭の中には暖冷房とは室内の空気を温めたり冷やしたりして居住空間をより快適にし、人間の生活行動ないし仕事の効率のための環境改善に寄与する、というもっとも至極な前提に立っています。それが実験の目的であり、それをさらに゜具体化すべく、ならば床冷房実験をやってみよう。熱力学の諸相については現在、もはや未知はない。必要なのは試してみることと、それを数値化して表現し、客観的な批判にも応えられる体裁のものにしなければならない。
こうした実験はもちろん実用性について検討し、世の中に寄与しようという前向きな動機から始まっています。
そこで導き出された数式のプロセスについては批評できません。実際の計測結果から熱エネルギー運動を表現する公式を利用して極力あるがままを数学的に再現して説明する、という学問的にフェフーな姿勢が貫かれています。
問題はそうしたことではなく、実験装置のプランが初めから熱環境の一側面しか補足できない体裁で始まっている、というそのことです。
なぜ、床暖房といえば「温水パネル」採用してしまうのか、ということと、それで「床冷房全体」をイメージして欲しくない、ということです。
とある実験例2

九州地方のとある公立大学での「床冷房実験」。