そもそも「蓄熱式」とは 1
※各暖冷房システムの特徴
輻射熱(右側の項参照)を主体に暖房・冷房をおこないます。いわば輻射熱環境をつくりだします。
床暖房効果としては一般の床暖房と同じですが、蓄熱式との相違点は熱エネルギー量の大きさ、です。
ただし、単純にその差だけを利用すると暖房として暑くなりすぎます。このため床表面温度は他の床暖房より温度を下げる必要があります。これが別名「低温暖房」の由来です。
単純な比較ですが、東京ガスやノーリツなどのメーカーの床暖房仕様は温水マット・温水パネルと厚さ9〜15mmの製品を使用します。この製品を蓄熱体とみなすと、ここから暖房に必要な輻射熱=遠赤外線を放出するためには、保有できる熱量がとても小さいため、どうしても床表面温度を高くしてやる必要が生じます。この場合は25℃〜30℃は必要な温度となります。
蓄熱式では21℃前後で間に合いますが、一般の床暖房では25℃以上を必要とします。このため、床面に触るとマット・パネル式の床の方が暖かく感じます。直接の伝熱温度が高いからです。それでより暖かくなる、とはいえないのです。高くしないと必要な輻射熱量が得られません。
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「エネルギー・輻射熱」とは何か」 その1
少々面倒な話となりますが、輻射熱とは「遠赤外線」のことで、これは熱が空中を移動するときの姿だ、といえます。空中では遠赤外線で、それが絶縁体にぶつかると熱に戻る性質の運動体です。
物理的には「電磁波」として分類されます。周波数(10μm前後の帯域)をもち、それ自体がエネルギーとして扱われます。
これが観察的に発見された(物理運動として認識された)のはアインシュタイン以前のことで、100年以上前です。物理では有名な「光電効果」という現象が観察され、しかし物理的な説明はまだ当時では困難でした。ある種の光線が物体に当たると瞬間に電気的な性質を示す、まではわかっていました。
これに着目したのが「相対性理論」のアインシュタインです。光もエネルギーの一種であり、そこで生じる熱もまたエネルギーだと直感したのです。質量(m)とエネルギー(e)は同じものと考えていい、と結論付けたのです。「電磁波は全てエネルギーである」と。このことをヒントに彼の理論は成立しています。有名でシンプルな公式、「e=mc2」は物理運動の極限値です。光(c)を物差しとして使い、エネルギー(e)と質量m(の関係を示しています。
「質量」を増やせば「エネルギー量」は増大します。
気体(空気)を含めて物質の全ては熱容量で比較することができますが、それぞれの熱許容量は相違します。
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そもそも「蓄熱式」とは 2
※冷暖房プランの考え方
よく耳にする誤解は、温度にまつわる基準・目安です。
これは空調機器との比較において特に聞かれます。空調の専門家でもあまり意識していないケースがほとんどです。
暖房のために必要な部屋の目標温度が25℃であれば、どんな暖房方式を採用しても必要なのは25℃である、という単純な考え方に問題があります。負荷計算においても、東京であれば−2℃から25℃まですみやかに立ち上げる能力を求めます。27℃昇温できる能力が必要、と結論します。
暖房・冷房が空気を温める、冷やす、という前提ならそれでも良いのかもしれません。エアコンの特性は立ち上がりの良さです。この特性を生かすには能力は大きめの方が無難です。東京でも寒波などで0℃以下になることもありえるので、この能力は必要です。いざというときになかなか温まらない、冷えない、というのは頼りないものです。居住する人を暖かい空気で包む、涼しい空気で素早く包む、という考え方です。この空気調和はコントロールが困難なのですが、一度使えば家ごとに相違する必要負荷もだいたい見当がつき、慣れれば設定温度の目安もつけられます。使い方により、20℃でも暖かい家があり、あるいは25℃で暖かいと感じる家もあります。
ここまでは考え方として自然で正しいといえます。この空調計画では最悪の事態(温まらない・冷えない)を設計責任として回避する意図が含まれてもいます。現実的には致し方ない考え方です。
空気を温める、冷やすことだけが暖冷房か ? という発想が蓄熱式にはあります。
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「エネルギー・輻射熱とは何か」 その2
※余談1
これらeとmが同じだというのは、二つは分かちがたい、実際には数値として一体である、と言い切れる共通の物差し、単位があるはずです。個々別々に考えることはできても、実際の物理現象としてはそれぞれが単独では存在しえない、という意味になります。
ここにc (光の速度)を絡めるのは、いわば実際の空間での素粒子を含む物の運動として、統一的に了解可能な確固とした限定をおこなうためです。
言い換えると、宇宙空間全体において計測可能な、この世の物理運動を数式によって仮想的に再現できる、ということです。
1+1=2という数式は、それ自体ではこの現実上の、特定の関係を示したり意図することができません。実際にミカンとリンゴが一個ずつあり、合計はいくつかという命題があって初めて、この数式には意味がもたらされ、人間に役立つ働きを獲得します。人間にとって便利な道具となります。日常で実際ににだれでもお金の計算とかに使っています。
ニュースで時に流される「素粒子」の観察(カミオカンデなど)でも、「純水」という非電導体の中を通過するニュートリノなど素粒子がこれにぶつかり、行く手を純水に阻まれて瞬時に微光とネットに化ける様子が紹介されています。それまで素粒子は物質ではない、えねるばーはゼロ、ヘタをするとマイナスのエネルギを持っているのではないか、と疑いとも期待とも思える憶測がなされたりもしていました。
結果、アインシュタインは正しかったことになります。すべての運動体は質量=エネルギーを持っている、ということを実験は裏付けたたからです。
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そもそも「蓄熱式」とは 3
※冷暖房プランの考え方
輻射効果を期待した暖房方式は古くからあります。蓄熱あるいは地熱を利用した建物も多くあります。古代ローマの石造りの建物の遺跡、暖炉、身近では朝鮮半島のオンドル、アイフ民族の家「チセ」、縄文期の竪穴住居、吉見百穴の岩盤をくり抜いた住居。時代が下ると鋳物鉄も採用されます。
これらに共通しているのは蓄熱体として石、土などが適しているという生活経験です。現代では韓国でも日本でもコンクリートを採用しています。身近で効率の良い素材、建築ついでに採用できる手軽さ、コストなどの条件も住む者に味方しています。
主に欧州大陸で建物に利用される「石」は石灰岩で加工しやすく、しかも比重が低めなので以外に保温性があります。夏でも冷房装置が不要だったり、外気温殿影響を受けに久手特性があります。これは「断熱性能の良さ」と言い換えられます。
これに比べて岩穴は冷えるイメージですが、比重の高い素材は人為的に温めさえすれば今度は熱容量が大きいため焚火でもして常時過熱してやれば快適になりまた。竪穴住居でも同じで、古来よりの蓄熱型の暖房では人為的に熱を加えてやることは必要でした。「熾火」という言葉がありますが、これは毎日火を起こすのが面倒でもあり、火種を残しておいていつでも燃え上がらせ、調理でも暖房にでもすぐに使えるように、という発想に寄っています。同時に建物を冷やし切らないという配慮もあります。
西欧でのイメージですが、農家のおばあさんが留守番中に暖炉の火を絶やさないよう薪をくべつつ、椅子に座っています。しかしなお火はもったいない。ならばと売り物にならない硬い肉などを鉄鍋に入れ、日がな一日グツグツと煮ている姿。これが魔女なら似たような鍋で薬草やらなにやら、マジナイの準備にいそしんでいる姿、というのも目に浮かびます。
温まりにくくしかし冷めにくい。さらに石は熱容量が大きいために、暖炉の前ばかりでなく輻射熱も豊富で、室内はこの光の速度で物から物へと飛ぶ遠赤外線効果により全体に温まります。そうすると壁や天井に接した空気も次第に温められ、しかしエアコンと違って暖かい空気は四方から温められるためじっとしています。対流を起こしにくくなっています。
暖炉でひととき温まったら、あとは残り火を消さないように、ときおりおばあさんはノンビリ薪を足します
現代はこれを機械的に計画的におこないます。。
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「エネルギー・輻射熱とは何か」 その 3
※余談2・ 人間にかかわる問題
現代哲学ではなお、この素粒子は「永遠か?」というテーマを抱いています。人間の意識も心の存在もすべて脳髄に存する以上、ならばその働きを科学的に物理的に説明しよう、という哲学の姿勢です。
障害物にぶつからない限り、素粒子は宇宙を重力波の影響などを受けつつも直線的に横切り、星々をも貫通し、運動し続けていねると思われます。ただしこれも、確率的には純水(絶縁体)を貫通し切れなかったように、いずれ消滅するのは明白で、ただし光電効果同様、他のエネルギー体に変化する、と考えるべきでしょう。やはり「エネルギー不変」といえます。概念として物的性質の一側面でのみ捉えようとすると、曖昧さがその脳裏を掠め、
どこまでも未知の領野を彷徨うという、現代文学的幻想の課題に侵されるだろことに陥るはずです。
計算による宇宙の質量総計は推測される実際の数値のニ、三十%程度ということですが、それで未知の物質として、「暗黒物質(ダークマター)」などと黒いミステリーよろしく語られます。これもまたあるかなしかの微量な質量の総計を測り難いまま計算する結果だろうと推測されます。「一億光年の彼方」から星の光が届く、とは、誰でも折に触れて見ている空の星の光が、その距離をエネルギーを失わずに飛んできている、と想像すればどうでしょうか。その光は地球だけでなく、彼方の恒星では端的に十六方位へ向けは飛散するそれは一部に過ぎない、と考えるのが妥当です。光ばかりでなく、白色矮星の崩壊ではさらに巨大なエネルギーが四方へと放出され、それが無限と思しい距離を移動中なのであれば、それも算入する必要があります。実際よりまるで足りない答えが出たら、それがいかに精密な計算であっても、:結果としてかなりなドンブリ勘定としかいえません。
ゆえに現代哲学が託す究極の存在論は、そのアプローチ当初から紙一重の齟齬を孕んでいるだろう、と推測できます。そうだとしたら、人間の意識、あるいは精神、・心の問題は物理的な方法ではとらえきれず、永遠に並行するといえます。
同様にこのことから反転して、フランスの現代文学のたとえばミシェル・ウルベックの主張は的を射ていて、しかし回答できないまま放蕩しています。彼は素粒子に象徴される哲学を呪っています。
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そもそも「蓄熱式」とは 4
※古代と現代ではなにが違うか ?
省エネ=維持コストの低減、より質の良い快適さを求め、建築家・設計者たちは古来よりの知恵を参考にしつつ、別な方法で同じ効果かそれ以上の環境を構築しようと奮闘してきました。「家」の付く職業の方々はそれぞれ独立系のようですが、知識として、あるいは情報として古来からつながっています。
当然のことですが、まずは雨露をしのぐ、という基本は竪穴住居の時代から変わらず、洋の東西を問わない、という単純な事実。さらに温度・湿度管理、断熱・気密性能など、科学全般の成果を参考にしつつ改良を加えてきました。
人はただし、機能性や効率のみ求めるものではなく、デザインやさまざまな意匠にも期待します。その結果出来上がってくる建物はどれも個性的です。共通するものと比較できないもの、あるいは伝統的な意匠や未来的なこれまでなかったフォルムなど、歴史的な時間の中で養われた知見の総括やそこからの脱皮を試みています。そこに住まわずとも、見ていて楽しくなる建物も多くあります。町の象徴となる建物もあるはずです。
一人の人間の中での建物・環境への期待値は、竪穴住居の構造を採用して原初的な自然環境に住みたい、というものから超現代的な建物にも住んでみたいという、複合的な願望が垣間見えます。迷いつつ、なにを選択するか、これが楽しみでもあります。 |
「エネルギー・輻射熱とは何か」 その 4
※余談3・ 人間にかかわる問題
この現代の混迷を知りたければですが、こうしたことからも現代を推理できる、ということです。ウルベックの混迷は、自らもエンジニアリングの勉強をしたがゆえに、科学を信じ、それによって自己疎外を起こした人間の姿を示しています。彼は自分自身をフロイトの精神分析的には了解しており、しかし文学的にはまったく根拠を待てずに虚妄のまま苦しんでいます。これは彼の文化的な背景としてもキリスト教などの唯一神的な一元性の絶対をなお無意識に信じていることによるのかもしれません。
こうした問題に踏み込めばだれしもひひとき路頭に迷うのは必然でしょう。それもアジア地域より欧米地域の方が顕著な気もします。日本がこうした問題から免れるのは、きゃりーぱみゅばみゅがいるから、とでも説明できそうです。アニメ的なあどけない表現もまた尊重されるべきと思われます。「日本的」とは出発において良くも悪くも無意識にでも心が前提になっていて、キルケゴールのキリスト教的本来『死に至る病』からかけ離れています。
迷うことはあっても本来は自傷傾向からは無縁と思われます。
※生きる上での『快適性』について (別項編集中) |